その158
年金は 収入が 0だと 手続きを すれば 払わなくていいらしいし、ひとり親だと 扶養手当てと 言うものも、月4万程度 貰えるらしい それから児童手当5千円・・・なんとなく 頑張っていける気がしてきた!
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年金は 収入が 0だと 手続きを すれば 払わなくていいらしいし、ひとり親だと 扶養手当てと 言うものも、月4万程度 貰えるらしい それから児童手当5千円・・・なんとなく 頑張っていける気がしてきた!
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いよいよ 新生活の 始まりです。
もうすぐ 2歳の子供と だいぶ正気に戻った私。
気が付いたら 母子家庭になっていた感じが しますが とりあえず 病気も 回復に向かっている証拠!!
なにからしたら いいかしら?
ありがたい事に、市役所に 行くと 色んなところに廻されて 色んな手続きが 済んでいく。
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そして 最近 気がついたこと・・・ この病気は 本人も大変だけれど 周りで 支える人も 大変なんだと いうことに 気が付きました。私の 場合は 結果 最後まで 見捨てることなく 守ってくれたのは 母でした。残念な事に 旦那さまは 私を、守りきれなかったけれど 私は 何の恨みも ありません。それほど 厄介な 病気なのだと 思います。もっと 早い時期に 病院へ行き 薬を飲んでいれば すぐに 治っていたと 医者は 言いました。
なかなか 行きづらい病院ですが 早めの 治療をお勧めします。私の 行っていた時期の少し 後に 皇太子妃雅子様の病気が 公になり 今では 「この人 何処が 具合悪いのかしら?」と 言う人も たくさんいるので 、すこしでも おかしいと 思ったら、家庭崩壊する前に 一度は 診察に 行ってみて下さい!!
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まだまだ やることはあります。今度は 調停からの手紙を持って また 役所です。健康保険の苗字や 戸籍の苗字を換えなければなりません・・・そして ようやく 再出発気分です。でも 今度は 児童手当や 扶養手当の申請 保育園の手続きなど 沢山待っています・・
ここまで なんとか 頑張ったので しばらくは ゆっくり治療に専念です。 医者とカウンセリングの両方で毎週通っていたのですが 最近では 2週間に一度で 良くなりました。発症当時は 幻覚 幻聴 震え 吐き気 めまい 朝が怖いなど とても苦しい毎日でした。もう 二度と当時のようには なりたくないので 無理をせず ゆっくりやって行こうと 思います。無理をせず ゆっくりやろうと判断出来る様になっただけ だいぶ 良くなっているんだなぁと感じています。
これを 読んでくれている皆様も 無理はしないほうが いいですよ!!ホントに 突然くるものです。気付いた時には 遅いです。まさか 自分が なるとは思いもしませんでした。今思えば 初めは 「風邪」と思っていたのです。それから 肩こり。背中が痛いくらいに 凝っていました。ただ 少し違うのは その風邪や肩凝りが 長かったことです。
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2週間以上が 過ぎ・・元夫と、私の 戸籍が出来上がりました。次に やることは 元夫の戸籍に居る 我が子を 出来たばかりの 私の戸籍に移す事。手続きは 割と簡単だったような気がします。しかし 苗字が元夫のまま・・
苗字は 両親の戸籍謄本を持って また 家裁に行かなければなりません。もちろん親権を持っている私が 行くわけで市役所も 珍しい事では 無いのでしょう。元夫の戸籍謄本も 今では 他人の私でも 難なく手に入れる事が出来ました。そして、2通を持って 家裁に行くと 今度は 面接・・・どうやって暮らしていくかなどを聞かれ あっさりと 終わりました。
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調停後 1歳10ヶ月の子供の 苗字も すぐに変わる訳には いきませんでした。親権者の戸籍抄本が出来るまでは 動かすことが出来ないようで・・・よって 母子家庭に付く 扶養手当や 保育園の申請も みんな私の戸籍待ち。ようやく 子供の戸籍を 私の元に入れられたと思ったら今度は 苗字を変えるため また 家裁へ行かなければならず この病気・・・待てば待つほど 不安や 焦り、イライラ感がでるので 困ったものです。毎日毎日親に なだめられ 過ごしていたような気がします。
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障害者の手続きには 身体的なものだけではなく、精神的なものも ありました。買物もろくに出来ない私は ギリギリ手帳が発行されるようですが・・・認めたくはない正気な自分、頑張っている自分が 居たため申請はしませんでした。母子寮も見学に行きましたが 一人では子供の世話をする自信がなく止め 病気が治るまでは 実家に帰る事にしました。そして やはり 少しオカシイのでしょう・・・実家に住むようになってからも しばらくは 天井や 壁が 気になり イライラしたり していました。
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しばらく ゆっくり出来るかと思いましたが・・・離婚とは大変な大仕事・・・まずは自分の身辺整理。
病院に通っているため 保険証・・調停離婚の為 離婚届は いらないものの やはり市役所で 転出届や 転入届を出し 年金手帳 銀行印 その他 こまごまと すべて旧姓に 戻していく・・・・なんども なんども 市役所へ 足を運び 話が上手に伝わらず 泣いて帰ってきたものです。結局 母が 同行してくれて 手続きは 終えました。見かねた 市役所の 人は 新たに 障害者登録と 母子寮を 薦めてくれ その足で 母子寮を 見に行きました。 ただただ 連れられていく私は 当時 悪化していたような・・・
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どうやって帰ってきたのか もう訳がわかりません。どうやら 離婚したようです。拇印を 捺した紙を 市役所に提出すれば すべて終わり。調停離婚に 離婚届なんかいらないらしい。 10年が あっさり終わりました。
失ったものもあれば 貰ったものもあります。もうすぐ、2歳の子供です。まさに たった一つの宝物。これからは 早く うつ病も治して この子の為に がんばろう!
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心の整理が 出来ないまま 調停、最後の日になりまし
た。ルボックスという 安定剤を はじめ何種類もの 薬を
飲み 重い足を 引きずりつつ 家裁に向かいました。
そこでは 最終決定が だされるようです。すでに 私は
ぬらっと 歩くのも やっとの中 覚えていることが いく
つか ありました。
最終書類を書くらしく、調停が 始まって以来の 夫との
同席・・・どんな顔で 会うのか・・どんなに私を憎んでい
るのか・・・顔を見れるか・・ましてや 話なんか出来るの
か・・・私は 色んな意味で恐怖さえ覚えました。実際、
久々に見た夫は 何ヶ月か前の やさしかった顔とは ま
るで別人の 形相に なっていて・・・上手には伝えられ
ませんが もう 終わりなんだなと 言うことは 感じまし
た。
それから 最後の調停では 裁判官が来るのですが い
つ来たかもわからずに ただただ 涙があふれて止まら
なっかた。なぜか 調停委員の人も 泣いていた・・・
そして 色々説明を していたようですが なにも頭に入
らずに 本当に最後 紙に 拇印を 押すときには 震え
が止まりませんでした。
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